今日の朝日新聞”折々のことば”で、野口雨情の童謡“しゃぼん玉 とんだ 屋根まで
とんだ 屋根までとんで こわれて消えた”が取り上げられていた。
中山晋平作曲、野口雨情作詞のこの童謡が、発表されたのが、1923年(大正12年)。
1918年米騒動発生。この前後に発表された雨情の童謡には、包容力が消えつつある社会が、鑑みられると書かれていた。
1977年(昭和52年)に売りだされた
石川さゆりのヒット曲”津軽海峡・冬景色”
の1節に”私もひとり 連絡船に乗り~”がある。青函連絡船は今はない。
青函連絡船は、1908年(明治41年)から
1988年(昭和63年)まで運航されていたが、青函トンネルにその役割を譲って,終航した。
1947年?父と連絡船に乗ったとき、1mもあるような魚が広~い灰色の海をぴょーんぴょーんと、飛び泳いでいた。
”津軽海峡・冬景色”を聴くと、いつも、父と乗ったあの青函連絡船から見た海を思い出す。
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